DAVID HUME : WORKS & AUTOGRAPH LETTERS
ヒューム生誕の地:ナインウェルズ


Tweed河の河口にあるEngland最北端の町Berwick upon Tweedから西北西へScotlandとの境をこえて約15Km行ったところにChirnsideの村がある。集落は街道に沿ってT字形をなしており、その南端にChirnsideの教区教会がある。BewitckからChirnside方面行きのバスは2時間に1本程度。所要時間約20分。バス停から教会まではダラダラ坂を下って約1Km。教会の南側を東西に走る国道を横断してさらに南に行くと、Tweed河の支流Whiteadder(White Water)とBlackadder(Black Water)の合流点でAllanton Bridgeという橋がかかっている。

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写真はBewitck駅前のCastle HotelのBarに飾ってあった古地図の写真の一部。Hugh Hume伯の依頼によると書かれているが、製作年代は不明。現在の5万分の1地図には記されているNinewellsの地名があり。Hume's Est.と書かれている横に、大きな家の絵がある。

教区教会の墓地の古い墓のほとんどは表面が剥落してしまっているが、Homeと読める19世紀後半の墓が数基、それらと並んでDavid Humeと同時代のJames Homeという人の墓(1773年に76才で没)があった。これは近い親族の一人だっただろう。Home(またはHume)というClanは、北はDunbarから南はTweed河の中・下流まで、Scotland低地の東部に勢力を張っていた。なおChirnsideの東南約25kmのところにHumeという村があり、そこには城があったらしい。

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墓地の手入れをしていた老人にNinewellsのHumeについて尋ねたら「ヒュームさんの墓ならここにあるよ」と墓地の隅の塀にとりつけられた墓に案内された、1975年につくられた新しい墓で、きれいな花に囲まれている。埋葬されているのは、James Alexander Hume of Ninewells(1852-1935)、その妻Flances Isohel Mitchell Inns(-1940)、Alexander Ross Hume(1884-1950)、その妻Jean Lillian Burden(-1975)の4人。墓の一番下のところには、何とDavid Hume Motto "True to the End"という言葉が彫られている。兄の家系の人が古い先祖の地に墓を建てたのだと思われる。

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Chirnsideの教区教会と墓地